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身のまわりにいくらでもいた名なしのダニ類
−土壌動物の世界の扉を開く−

青木 淳一(神奈川県立生命の星・地球博物館)

 どの生物群にも,人間の役にたつ種類と,人間に害を与える種類があり,それらは一般によく知られている.しかし,本当を言うと,益にも害にもならない種類が大部分なのである.そして,その大部分の種類は一般には知られていない.

 ダニもまたしかり,である.人畜の血を吸うダニ,食品や畳にわくダニなどの有害ダニ,逆にハダニなどの農作物を駆除してくれる天敵ダニなどの有益ダニは知られていても,ダニ族の大部分を占める,人間生活に直接無関係なダニの存在はほとんど知られていないし,それを研究しようとした人もいなかったのである.その人畜無害なダニの代表が土壌中に生息するササラダニ類である.ほとんど誰も研究していない未開拓な生物群の研究を一生の仕事としたいと熱望していた学生時代の私にとって,森の落ち葉を主食とするササラダニ類という生物の存在は格好の研究対象であった.

 山奥の森林から都市の植え込みまで,どんな場所でも,ほんの一掴みの腐りかけた落ち葉を採ってくれば,数種類から20種前後のササラダニが見付かり,すこし場所を変えれば,また違った種類が発見され,しかもどれもが日本から記録のない種であったり,まだ命名されておらず,新種として記載しなければならない種であったりする.こんな動物たちがこの日本列島に,これほどたくさんの種類,人知れずひっそり暮らしていたなんて,信じられないことであった.しかも,その姿形ときたら千差万別,さまざまな角飾りや彫刻をほどこした自然の芸術品.よほど暇な造化の神が手慰みに拵えたとしか思えない.

 このササラダニ類の分類を私が開始したのが1956年で,当時日本から知られていたのは,L. Karpellesと岸田久吉による7種だけであった.それ以来,毎年新記録種,新種が発見され,現在は107科630種に達している.そのうち,新種として記載されたものは400種近くになる.日本産ササラダニ類の種数は今後も増え続け,800種は越えるだろうと推定される.

 土壌動物の世界を覗いてみると,ササラダニ類だけではなく,ほかにも同様に分類すらほとんどわかっていない動物群がいくつもあることに気づく.地上界や水界の生物が早くから研究されたのは,大型で目立つものが多いだけでなく,人間生活に有用なものや有害なものが多く含まれていたからだろう.一方,土壌界の生物は小型で,地味で,地面の下に隠れて潜伏して人目に触れず,しかも人間生活に直接関わりを持つものが少なかった.ササラダニ類以外の捕食性のトゲダニ類やケダニ類も同様に未開拓な群である.ダニよりももっと未知な状態にあるのが土壌線虫であり,農作物の根に加害するなかまを除けば,名なしのものがわんさといる.ミミズですら,最近になって数十種の新種が発見されている.地上に見られる種については相当に分類が進んでいる昆虫やクモに関しても,こと土壌性のものになると,さっぱり分かっていない.落ち葉の下に生息する微小な甲虫やサラグモのなかまでは,これからどれだけ新種が見付かるか分からない.

 土壌動物の世界を覗く扉はたくさんあって,どの扉を開けても,わくわくする光景と宝の山が待ち受けているのである.