出川 洋介(神奈川県立生命の星・地球博物館)
2001年に刊行されたDictionary of the fungi第9版では,菌類界に10門を認め,全世界からの菌類既知種総数として約8万種を計上している.今回の種数算定調査では,その約17%に相当する1万4千種が日本産既知種総数として認められたが,この数値は日本産菌類目録初版(白井,1905)の約10倍,同改訂4版(原,1954)の約2倍に相当する.多くのコスモポリタン種も知られている菌類では,胞子や菌糸の存在を肉眼により直接検知できない故に,「分布しない」ことを判定するのは容易ではない.日本には認められない極度な乾燥気候に適応したものや,日本に分布しない他生物に強い特異性を示す菌類は除くとしても,亜寒帯から亜熱帯気候を擁す日本列島には,少なくとも世界からの既知種数の半数4万種以上が分布するものと考えられる.未記載種数の推定については様々な試算があるが,広く採用されている約150万種という数値をとれば,現在日本より知られる菌類は地球上の推定総種数のわずか1%ほどということになる.
従来,下等植物とみなされてきた菌類は,現在では動物と姉妹群をなす単系統群(狭義の菌類界)と原生動物界,クロミスタ界の一部からなるものと解釈されている.動物と祖先を同じくしながらも,菌類は多細胞生物とはいえ複雑な体制を発達させず「微生物」としての性質を保持し,柔軟な適応能力を活かして陸上のあらゆる場所に進出するという動物とは異なる戦略をとることにより独自の繁栄に至ったのだろう.植物命名規約上の特例事項ともなっている,多型的生活環もこのような菌類の独自性を示す顕著な例である.
キノコ・地衣・変形菌などの大型菌類の記載分類は,野外で直接採集された乾燥標本に基づく伝統的植物分類学の手法により進められてきたが,肉眼的に検知できるサイズゆえにアマチュア研究者も多く,その研究意欲は近年殊に高まっている.しかし,未記載種が多く分布が世界規模である菌類の場合,その分類同定は幅広いバックグラウンドを必要とし,思いのほか容易ではない.日本では専門家が不在である分類群も多く,海外との連携も取りながら博物館を介したアマチュアと研究者との協力体制による体系的な情報蓄積が求められる.
他方,有害・有用微生物として人間社会と密接な関わりを持ってきたカビ・酵母など微小菌類の分類は,主に社会の要請に応じて生きた菌株を材料として進められてきた.形態的形質に乏しい酵母の分類には早くから生化学が導入され,むしろ細菌類の分類に近い手法がとられてきた点で,形態や生態的特性が複雑なカビの分類と対照的である.サンプルより間接的に検出されるカビの場合,いかに多様な種を把握できるかは分離培養技術の改良に大きく依存しているが,それには野外における生態的特性にも配慮をすることが肝要であろう.ましてや,培養が不可能な微小菌類の解明には,微小なサイズいかんに関わらず自然界における本来の微小生息地を明らかにしなくてはその全容は把握できない.今回の日本産既知種総数の約3分の1を占めている植物病原菌類は,まさにそのようにして採集と培養の両面から分類学的研究が進められてきた菌群の一例であろう.
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