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シーボルト植物標本に見る科学の目
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藤井 伸二(大阪市立自然史博物館) 筆者は山口隆男氏(熊本大学理学部)のシーボルトコレクション調査に参加し,植物標本の一部を調査することができた.ここでは,その共同研究の過程で明らかになったことを紹介したい. 江戸時代末期に日本を訪れた蘭医であり博物学者であったシーボルトは,膨大な生物標本・民族資料をオランダに持ち帰った.それらの資料は,「Fauna Japonica」や「Flola Japonica」の基幹資料となっただけでなく,その後の日本の生物相解明やヨーロッパにおける日本学の発展に大きな役割を果たした.多くのタイプ標本を含むという科学的価値にとどまらず,ライデンの国立自然史博物館や国立民族博物館の展示資料(例えば,ニホンオオカミの剥製やアイヌの民族資料)としても活用され,今なお大きな価値を有している. シーボルトは計2回にわたって日本を訪れ(1823-29,1859-63),様々な資料を収集している.しかし,長崎の出島から出ることが制限され,江戸参幕を除くと5回の日帰り収集旅行を許されたにすぎない.にもかかわらず,彼の収集品は樺太から琉球までの広い範囲におよび,出島には植物園をつくって1,000種類(種類の数え方が今と当時は異なると思われるので,実際はもっと少なかっただろう)もの生きた植物を栽培したという.オランダに持ち帰った大量の標本・資料の全貌はいまだ明らかではない. シーボルトコレクションは,おそらく日本の科学史上,例を見ないほど広範で膨大な資料をヨーロッパに紹介した.この収集は,彼の綿密な計画と国家的な(直接的には東インド政府)予算基盤の上に成立している「事業」であった.それが支援されたのは,シーボルト自身の努力はもちろんであるが,当時の生物学や社会情勢とも無関係ではないだろう.それは,帝国主義的な生物資源探査であったかもしれないし,貴族階級の珍奇なもの・未知のものへの好奇心であったかも知れない.いずれにせよ,そうした社会的要請に分類学が大きな役割を演じていたのは確かである.結果として,収集された資料はシーボルト自身とそれに続く研究者達によって精力的に研究され,科学資料としての価値を失うことなく現在まで保存されている.また,ライデン大学には,その当時に設立された日本学の講座が今も学問の歴史を刻み続けている.彼の「事業」とそのコレクションを材料にヨーロッパで発展した日本研究には学ぶべきものがあるように思える. シーボルトコレクションの植物標本は,さく葉,木材,種子・果実,コケ・地衣類,液浸など多岐にわたるが,その大部分はオランダ国立植物標本館ライデン分館に存在する.また,シーボルトと共同研究を行った Zuccarini のいたミュンヘンの植物園,シーボルトコレクションを未亡人から買い受けたサンクトペテルブルクのコマロフ植物研究所,コマロフから未整理標本を委譲された東京都立大学牧野標本館などにまとまった数の標本が保存されているが,その全体像はいまだ不明である.植物のさく葉標本に限っても,1829年のオランダ本国への標本送付時にシーボルトが付した書面には12,000点の記録があるし,ライデンの植物標本館に納められている標本点数は Miquel の作成したリストによれば5,000点(Buerger 等の関連標本を含めた総数は1万点)を超えている.現在,熊本大学理学部の山口隆男氏らによって詳細な目録作りが進められている. 標本を科学資料として普遍的に利用している分類学者にとってはしごく当たり前のことなのだが,異分野にはなかなか理解してもらえない標本固有の特質がある.それは,よい標本(=その生物の特徴を充分に表している標本)の製作には,あらかじめその生物群に対する知識を持っていることが不可欠なことだ.植物には,異形葉を持つものや花に多型のあるものが少なくないし,花・果実の内部構造や髄の形態に重要な形質が見られるものも多い.資料価値の高い標本では,製作時にこれらの形質に充分な配慮を行い,情報がとり出しやすく加工されている.例えば,オオサンショウウオの標本を乾物にはせず,維持に手間のかかる液浸標本または製作の面倒な骨格標本とするのが一般的なのも,情報の取り出し易さが理由にあるだろう.つまり,標本の製作とは,単に保存のための加工だけではなく,その生物自身の持つ情報を可能な限り多く利用できる形に加工(編集)して標本にとどめる一連の作業と考えることができる.ここでは,その作業に「生物情報の編集」という言葉をあててみた.私は,標本製作を「保存のための加工処理と科学資料としての利用価値を高めるための生物情報の編集」として再定義すべきだと考えている. シーボルトの植物コレクションを調査すると,上述の「生物情報の編集」に大きな努力が払われていることがわかる.4例を挙げよう. 1) イチジク属の重要な分類形質は嚢果である.観察を容易にするために,嚢果が半切されているものがある. 2) ツル性木本や低木では,髄の形態が重要な分類形質である.マタタビ属やアジサイ属などの標本では,容易に髄観察ができるよう,枝を斜めに切断しているものがみられる. 3) 花器官は重要な形質だが,開花期に展葉していない植物も多い.フサザクラ,ウメ,モモなどの標本では,異なる時期に別々に採集されたと考えられる花の枝と葉の枝の両方が1枚の台紙上にマウントされている例がある. 4) ツル性植物や木本植物にはしばしば異形葉がみられる.シーボルトコレクション中の伊藤圭介標本帖には,キカラスウリの2タイプの異形葉が見開きページに意識的にマウントされている.彼がこうした配慮を行うようになったのは,シーボルトのもとに半年ほど滞在した後であり,シーボルトの影響と考えられる. 1)や2)については,そのグループに特異的な重要形質を標本製作時に認識していることが肝要である.3)については,複数回の採集を意識するだけでなく,異なる季節の異なる状態の植物が同一種であることを見極める能力が必要だ.4)については,現地での注意深い観察力が必要である.こうした配慮は,個々の分類群で異なってくる.それゆえ,生物情報を編集して標本化するには,膨大な知識が必要だ.Linne の愛弟子である Thunberg の「Flora Japonica」を精読し,日本滞在中にその不適切な部分を指摘するほどであったシーボルトは,生物情報の編集にも非凡な能力を発揮している.この能力が,彼の標本群から類推される「科学の目」の一つだと私は考えている.そして,その成果は,Zuccarini と共同で執筆した「Flora Japonica」の正確な記載文や精緻な図版(例えばアジサイ属の髄の描画など)に実を結んでいる. 現在の植物学者が比較的安心して Thunberg や Siebold & Zuccarini の著作を参照できるのは,彼らが優れた科学者であっただけでなく,前者の基幹資料がウプサラに,後者はライデンにそれぞれ保管されているからに他ならない.それは,文献以上に重要な参照資料であり,当時のヨーロッパを代表する生物学者が標本の製作・研究・保管に取り組んだ成果である. 最後に強調しておきたいのは,近代ヨーロッパ博物学の発展を支えたのは,標本保管のたゆみない努力である.大量の江戸時代の標本がきちんと管理され,現在の研究に耐えうる状態で保管され続けるなど,日本ではおよそ考えられないことだ.ヨーロッパでタイプ標本の閲覧を行わなければならない日本人研究者の不便さは存在するが,それは単に不便なだけである.もし散逸・紛失していれば研究が不能になるわけで,不便と不能の差は大きい.このように考えると,分類学の発展は,研究努力だけでなく,保管事業(これこそ「事業」と呼ぶにふさわしいと私は考えている)が十分に機能する必要がある. 参考文献 大場秀章. 1997. 江戸の植物学. 東京大学出版会. 木村陽二郎. 1981. シーボルトと日本の植物. 恒和出版東京.235pp. シーボルト著, 大場秀章解説・瀬倉正克訳. 1835-1870/1996. Flora Japonica/シーボルト日本の植物. 八坂書房. 藤井伸二.2002.シーボルト植物コレクション調査ノート1 −縦断嚢果と斜切枝−. 分類, 2: 83-86. 藤井伸二. 2003. シーボルト植物コレクション調査ノート2 −伊藤圭介標本帖について−. 分類, 3(印刷中) 山口隆男. 1997. シーボルトと日本の植物学. CALA-NUS Special Number 1. 410pp. 熊本大学理学部附属合津臨海実験所. 山口隆男. 2001. シーボルトと圭介.In 名古屋大学附属図書館(編): 江戸から明治の自然科学を拓いた人 −伊藤圭介没後100年記念シンポジウム−. pp. 23-25. 名古屋大学附属図書館. 山口隆男・加藤のぶ重. 1998. シーボルトと日本の植物学(その2). CALANUS Special Number 2. 536pp. 熊本大学理学部附属合津臨海実験所.
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