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相模湾調査120年史 |
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並河 洋(国立科学博物館筑波研究資料センター) 相模湾は,珍しい海産動物の宝庫として世界的に広く知られる海域である.この相模湾の価値は,本海域における動物相調査研究の積み重ねの結果見出されたものであることは言うまでもない.そして,これは,相模湾に価値を認めた先覚者としてのデーデルラインの業績におうところが大きい. 今から120年ほど前,デーデルラインは,三浦半島三崎周辺の海域でドレッジを中心とした採集調査を行った.彼は,収集した標本を通して,本海域には他で見ることの出来ない多様な動物が棲息していることを始めて世界に紹介した.そして,このデーデルラインの採集調査を端緒とした相模湾調査は,以後現在まで継続されることになる. デーデルラインの離日(1881年)から数年の後,三崎に帝国大学臨海実験所(現東京大学大学院理学研究科附属三崎臨海実験所)が創立された.この三崎臨海実験所の創立(1886年)は,研究と教育の両面からその必要性を強く認識していた箕作佳吉(東京大学動物学教室の第三代教授)の発意によるものである.しかしながら,臨海実験所を三崎の地に設けることになったのは,デーデルラインの採集調査が契機となったのである.三崎臨海実験所においては,三崎沖の動物相についての研究が箕作佳吉や飯島魁ら邦人研究者により精力的にすすめられた.その成果は次々と発表され,相模湾の名はさらに海外の研究者の知るところとなった.それに伴ない,さまざまな外国人研究者が調査のため三崎に訪れるようになった.およそ100年前に来日したドフラインもその一人である.このように,三崎臨海実験所は,明治から大正期にかけての日本の海産動物相研究の発展に大いに寄与したのである. 昭和に入ると,三崎臨海実験所における研究は,実験動物学の方向に進み始めることとなった.しかしながら,相模湾調査自体は,衰退することなく,皇居内生物学御研究所によりさらに発展することとなる.昭和天皇の私的研究所である生物学御研究所は,1930年ごろから葉山の御用邸を拠点として,約40年にわたり継続的に三崎沖の動物相調査をおこなった.1970年代からは,伊豆・須崎の御用邸に拠点が移された.生物学御研究所の相模湾調査の成果は,昭和天皇ご自身,あるいは研究委託された専門家によりまとめられ,相模湾の動物相に関する大部のモノグラフとして具現化されている. このように,相模湾は,デーデルラインから生物学御研究所に至るまで何らかの形で100年近く継続して調査された世界的にも稀に見る海域である.そして,この継続性こそが,本海域の動物学的な価値を高めていったのである. 都市化の進んだ現代,国立科学博物館では,21世紀初頭の相模湾の姿を切り取ることを目的として,2001年から5ヵ年計画で相模湾の生物相調査を立ち上げた.この調査は,デーデルラインに始まる相模湾調査の延長線上に位置づけられるものである.そして,デーデルラインコレクションや生物学御研究所収集コレクションなどがそれぞれその時代の相模湾について語る財産であると同様に,本調査で収集する標本類も21世紀初頭の相模湾の姿を語るための将来への財産となるのである.
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