「生物多様性国家戦略」の見直しに関するパブリックコメント

 本連合では,環境省が募集していた「生物多様性国家戦略」の見直しに関するパブリックコメントに応募し,2002年3月9日に次の文書を連合代表名で中央環境審議会自然環境・野生生物合同部会事務局あて提出しました.

-----------------------------------

中央環境審議会自然環境・野生生物合同部会事務局殿

「新・生物多様性国家戦略」は,変動する地球環境の中でわれわれヒトを含むさまざまな生物種がどのように存続すべきであるかを,生物多様性の重要性に着目して,国としての方針を画定するものとして高く評価します.この方針が日本および国際対応における活動の指針になることを願ってやみません.第3部2節に述べられているような理念は人間の存続と発展にかかわるものであり,他の社会的活動でも重視されるべき規範と考えます.以下は,戦略案に対する意見を列挙したものです.ご参考になれば幸いです.

1.なぜ生物多様性が重要か.

 生物多様性を保全し,持続的に利用しようとするためには,なぜ生物多様性が重要であるのか,いかに生物多様性が地球環境に直結しているかを十分に理解しておく必要がある.それが不十分であればその動機・根拠があやふやになり,保全も利用も不完全になる恐れがある.たとえば,「人間生存の基盤である環境は,生物多様性と自然の物質循環を基礎とする生態系が健全に維持されることにより成り立つ」(p.31)とあるが,地史的に見て刹那的な現象として理解されがちな環境は,地球の起源から現在に至る超マクロな時間軸に沿って理解すべきである.生態系の一つであるオゾン層を含む大気の分子組成はラン藻細菌,藻類,植物といった多様な生物が30数億年かけて光合成し続けた結果徐々に出来上がったものであり,生物多様性の歴史が地球環境の形成に強く影響した端的な例である.歴史的観点に欠ける理解では,大気の成立と生物の進化・多様化の関係などが見過されがちである.大気の清浄化,オゾン層の回復など環境復元にとって,人間活動の適正化のみならず生物多様性の超長期的確保が必要であることが容易に理解されるようであってほしい.この一例を見ても,生物多様性を空間的および時間的な四次元存在として把握することが,生物多様性の重要性を理解することにつながるということがわかる.

2.生物種はどこまでわかり,どこまでわかっていないか.

生物多様性の根幹は第1部3,4節に示されているように,種多様性である.表4で日本の生物の種数がまとめられ,既知種については十分わかっており追加する必要もないと思われるかもしれないが,実際はそうではない.世界の種子植物はこれまで25万種から30万種あるとされてきたが,最新の計算では42万種をこえるとされているのである(Taxon 50:1085, 2001).本戦略案では未知種を含めて3千万種の生物が生息するとしているが,2億種とする試算もある.いずれにしても1%-5%しかわかっていないことになる.生物種についての情報を絶えず最新のものに更新しておく必要があるのはいうまでもない.さらに,未知種に対する既知種の割合の著しい低さを考慮すると,既知種を扱うだけでは生物多様性の全容を正しく捉えることにはならない.どこにどんな生物がどのように生息しているかという生物多様性の理解には,未知の生物がどれくらいあって,どうすれば認知できるかという問題を解決することが重要である.未知の生物の中にわれわれの生活にとって有用なものが含まれている可能性も高い.第1部4節のように,生物多様性の現状を絶滅危惧種の問題に絞り込んで捉えるのは,生物多様性の理解の現状を固定することにつながり,真の理解には近づけない危険性がある.1種の絶滅危惧生物の影で,何種もの未知種が何事も起こらなかったかのように消滅するのであろう.戦略案の第4部3節では,既知種に対する認識を一層正確にし,さらに,未知種を発見する調査研究を推進する必要性をはっきりと認識することが重要である.また,こうした理解があってこそ,分類学研究者を中心とする人材育成(第4部3章2節3)の必要性が浮き彫りにされ,その必要度が現在望まれているよりもずっと高いことがはっきりする.

3.「ホットスポット」から見た地域保全.

戦略案(第4部7節)では,生物多様性を保全する方策の一つとして自然環境保全地域・自然公園で生息域内保全が指摘されている.近年,固有種が集中する地域を「ホットスポット」として捉え,そこを保全することによって,生物多様性を効率的に保全する動きが高まっており(Nature 403:853, 2000),いくつかの国ではすでに関連の本が出版されている.「ホットスポット」はかつての気候変動に応じて生物がレフュージアとして避難し,種分化が頻発した地域であると理解される場合も多く,生物学的に重要な地域である.このように生物多様性を種の分布様式から捉える「ホットスポット」についての調査研究は日本では不十分である.自然環境保全地域・自然公園とホットスポットを比較する調査研究を行って,効率の良い保全を実施することが大切である.

4.生物多様性の基礎教育.

国の発展にとって教育の果たす役割が極めて重要であることはいうまでもない.生物多様性が大きくかかわっている地球環境の問題を解決し,次世代の人類と生物に良い環境を引き継ぐことは本国家戦略の根本的な課題であろう.第4部3章2節他で,具体的な施策がこと細かく示されているが,人間もヒトという種として他の生物種と同様に長い進化の過程で生じたという生物多様性の本質を偏見なく理解することが何よりも重要である.そのために,初等教育から高等教育に至るまで,全生物の多様性の構造と歴史性を重視する分類学の基礎知識が継続的に教えられなければならない.その理解は自然を観る時ばかりでなく社会的に行動する時にも役立つであろう.

5.生物多様性センターの充実.

本戦略を実現する上で,とりわけ「保全の強化」(第3部1章1節)に取り組む上で生物多様性センター(第4部3章1節)は「中核的拠点」と位置づけられている.そのためにはまず,センターの核となる専任の研究者組織をつくり,センターを拡充させる必要がある.それによってはじめて,4つの機能が期待通りに発揮されるであろう.

日本分類学会連合
連合代表 加藤 雅啓

付記:日本分類学会連合は今年1月,分類学関連の19学会が加盟して(今後増加の見込み),全生物群の多様性に関する研究・教育を発展させるために設立されました.本連合の設立趣旨は,本戦略案の目的と内容と深く関係しています.本連合では,生物群毎につくられた各学会の連携を図って,全生物多様性をめぐる諸課題に取り組んでいく所存です.

メーリングリスト
出版物
リンク集